生年月日データベース

コデルロス・ド・ラクロPierre Choderlos de Laclos

軍人、作家[フランス]

1741年 10月18日

1803年 9月5日 死去享年63歳
コデルロス・ド・ラクロ - ウィキペディアより引用

ピエール・アンブロワズ・フランソワ・ショデルロ・ド・ラクロ(Pierre Ambroise François Choderlos de Laclos, 1741年10月18日 - 1803年9月5日)は、フランス・アミアン出身の砲兵士官で、小説『危険な関係』の作者。
Choderlos の発音についてはフランス語話者の間でも論議されることがある。
ロジェ・ヴァイヤンはその著書『彼自身によるラクロ』の中でラクロの手書き原稿を載せており、ラクロが自分の名を Choderlot de Laclos と記していることを示した。
またラクロと同時代の様々な文献には Chauderlos の綴りが散見される。
このことから判断すると、ラクロ自身は「ショーデルロ」と発音していたと推察される。
日本語では「コデルロス」という表記もある。
北フランスのアミアンで生まれた。
特に由緒ある家柄の貴族ではなく、軍人を志して、1760年、18歳で砲兵学校に入り、1761年3月少尉に任官した。
ストラスブール、グルノーブル、ブザンソン、ヴァランスなどの地方都市を転々とし、衛戍隊付士官としての生活を送った。
1768年、28歳の時から34歳まで、約七年間グルノーブルに滞在した際、社交界でもてはやされたため、『危険な関係』の材料を収集しえた。
メルトゥイユ侯爵夫人のモデルはラ・トゥール・デュ・パン・モンモールではないかとされている。
1777年7月、リコボニ夫人の小説「エルネスティーヌ」を喜歌劇に改作、コメディ・イタリエンヌ座で上演したが失敗に終わった。
1779年、西フラン ……

推定関連画像

コデルロス・ド・ラクロさんが誕生してから、282年と182日が経過しました。(103183日)
亡くなってから、220年と227日が経ちました。(80582日)
22601日間 生きました。

「コデルロス・ド・ラクロ」と関連する人物