小渕恵三おぶちけいぞう
政治家、内閣総理大臣[日本]
1937年 6月25日 生
2000年 5月14日 死去脳梗塞享年64歳
小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年〈昭和12年〉6月25日 - 2000年〈平成12年〉5月14日)は、日本の政治家。
位階は正二位。
勲等は大勲位。
衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第121代)、内閣総理大臣(第84代)、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁、自由民主党総裁(第18代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任した。
来歴・人物=
総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長、外務大臣などを歴任。
竹下登の側近として地歩を築き、敵を作らない性格から「人柄の小渕」の異名をとった。
1998年に自由民主党総裁、総理大臣に就任した。
自由党、公明党と連立政権(自自連立、自自公連立)を樹立し、巨大与党をバックに内外政にわたり多くの懸案を処理したが、2000年に病に倒れ、そのまま逝去した。
生涯=
出生 - 早稲田大学時代=
4歳のころ、自宅庭で、3歳年上の姉・多喜子と
1937年(昭和12年)、群馬県吾妻郡中之条町に製糸業を営む小渕光平(衆議院議員・群馬県トラック協会会長)、小渕ちよ(光山社役員)夫妻の次男として生まれる。
戦時中に北軽井沢に疎開していた学習院大学の教授と懇意になり、編入を勧められた父の意向により中之条町立中之条中学校1年の時に、学習院中等科に編入。
以後は東京都北区王子に移住。
学習院に編入したものの、周りは名家の子息ばかりだったこ ……
小渕恵三さんが誕生してから、87年と150日が経過しました。(31927日)
亡くなってから、24年と192日が経ちました。(8958日)
22969日間 生きました。