生年月日データベース

渡辺錠太郎わたなべじょうたろう

陸軍大将[日本]

(二・二六事件で反乱部隊に殺害される)

1874年 4月16日

1936年 2月26日 死去暗殺享年63歳
渡辺錠太郎 - ウィキペディアより引用

渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年4月16日 - 1936年2月26日)は、日本の昭和初期の陸軍軍人で、二・二六事件の犠牲者である。
家庭が貧しかったために、小学校を中退している。
その後、看護卒を志願して陸軍に入営(当時は、陸軍上等看護長になると医師開業免状を与えられたので、医師を目指して入営している)。
中隊長から優秀であることを評価され、陸軍士官学校 (日本)の受験を勧められ、師団内1位の成績で合格。
その後陸軍大学校に入学し明治36年に首席で卒業。
栄典 1933年(昭和8年)8月1日 - 正三位 1936年(昭和11年)2月26日 - 従二位・旭日桐花大綬章 教育総監就任と二・二六事件 1930年代前半、陸軍内部では皇道派の勢力が伸張していたが、中心人物である荒木貞夫陸相は強権的人事により評判が低下した。

関連書籍

わたなべじょうたろう [生]1874.4.16.愛知[没]1936.2.26.東京陸軍軍人。1896年陸軍士官学校,1903年陸軍大学校卒業。04年大尉で日露戦争に従軍し,戦傷。大本営参謀,山県有朋元帥付き副官,ドイツ大使館付き武官補佐官,オランダ公使館付き武官,歩兵第29旅団長などを歴任。25年中将として陸軍大学校校長に転じ,航空本部長,台湾軍司令官を経て,31年大将,航空本部長兼軍事参議官。35年林銑十郎陸相が皇道派の真崎甚三郎教育総監を罷免し,その後任となったことから統制派系とみなされ,皇道派青年将校らの反感を買った。翌年二・二六事件で襲撃され死亡。 (引用元 コトバンク)

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