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井上八千代いのうえやちよ

日本舞踊家、京舞井上流家元・5代目[日本]

1956年 11月28日 生 (満68歳)

井上八千代 - ウィキペディアより引用

井上 八千代(いのうえ やちよ)は、京舞井上流家元の名跡である。
初世家元 初代井上八千代= 本名・井上サト(1767年(旧暦:明和4年) − 1855年1月22日(旧暦:安政元年12月5日)) 京都の出身。
儒者井上敬助の妹。
幼少より舞を習い15歳で町師匠の代稽古、満16歳より満30歳まで近衛家の老女南大路鶴江のもとに御殿つとめ、この間に御所風の上品な立居振舞、白拍子舞を自分のものとした。
1797年(旧暦:寛政9年)の宿下りののち、井上流を創始。
近衛家より「井菱」の文様を賜り家紋とし、主人鶴江の「玉椿の八千代にかけてそなたを忘れぬ」という言葉から八千代を名のる。
一旦、錦小路の魚問屋に嫁すが舞と両立できず円満離婚して舞に専心、禁裡の公家・女官や京都所司代の後援を得る。
のち島原の廓に舞師匠として招聰される。
行年88歳。
二世家元 二代目井上八千代= 本名・井上アヤ(1790年(旧暦:寛政2年) - 1868年3月24日(旧暦:慶応4年3月1日)) 京都の出身。
初世の兄の井上敬助の娘で、後に養子。
幼時より叔母の初世とともに舞一筋に生きて生涯独身。
1838年(旧暦:天保9年)頃、一世の剃髪後に二世を襲名した。
祇園町に稽古場を移して井上流の基礎を築く。
才女として知られ、当時花街の師匠として風靡した篠塚流に対抗するには、もはや風流舞ではおぼつかないと見て、金剛流の野村三次郎に私淑して能の型を囁取、人形浄瑠璃の人とも交流あり、人形の動きを舞にとり入れ ……

井上八千代さんが誕生してから、68年と55日が経過しました。(24892日)