生年月日データベース

原田哲也はらだてつや

オートバイレーサー[日本]

1970年 6月14日

原田哲也 - ウィキペディアより引用

原田哲也(はらだ てつや、1970年6月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元オートバイ・ロードレースライダー。
1993年ロードレース世界選手権(WGP)GP250チャンピオン。
WGP通算17勝(日本人最多タイ)。
WGP通算表彰台55回(日本人最多)。
イタリアではテレビCMに出演するなど高い人気を誇り、「イタリアで最も有名な日本人」との異名を取った。
ニックネームは、冷静沈着なレース運びから『クールデビル』 ゼッケン番号は、31をトレードマークにしていた。
~1992年 1981年ポケバイレースデビュー。
16歳で二輪免許所得後すぐにロードレースにデビューし、1987年筑波選手権125ccチャンピオン獲得。
1988年全日本併催のジュニア125で全戦全勝したのちヤマハファクトリーと契約し、1989年全日本ロードレース選手権に参戦。
1990年シーズン半ばよりワークスマシンYZR250を得て開発能力を身に着け、1992年GP250クラスチャンピオン獲得。

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  • タイトル
    ブループリント
    歌手
    発売元
    インディーズ・メーカー
    発売日
    2012年9月05日
    新品価格
    ¥ 3,980 より
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    より

1993年ロードレース世界選手権(WGP)250ccクラスワールドチャンピオン。彼のゼッケン31は、平忠彦がWGP250ccクラス初優勝時のゼッケン番号が由来。 1992年全日本ロードレース250ccクラスのチャンピオン獲得後、1993年からWGP250ccクラスにエントリー。開幕戦のオーストラリアGPで同クラス元チャンピオンのジョン・コシンスキー?を接戦の末破ると、その後日本GPでも勝利し、チャンピオン候補におどりでる。第4戦のスペインGPで、ノービス時代からの親友であった若井伸之?が事故死したが、その後のレースを圧勝。その後、他のライダーが調子を上げ、勝つことができなくなるが、スペイン、ハラマサーキットでの最終戦で、若井選手の両親が来ている中で、逆転でチャンピオンを獲得。デビューシーズンをチャンピオンで飾る。ただし、ヤマハの待遇は悪く、凱旋帰国時、飛行機はエコノミーだったらしい。(この時、チーム母体がヤマハ発動機のジュビロ磐田はビジネスクラスで移動してた。) その後、マックス・ビアッジと毎年激しいタイトル争いをするが、タイトルを獲得できず、アプリリアにスイッチ。その後2002年に引退。 イタリアでテレビCMに出るなど、イタリアでは非常に有名なライダーの一人。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
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