生年月日データベース

原辰徳はらたつのり

プロ野球選手、監督[日本]

1958年 7月22日

原辰徳 - ウィキペディアより引用

原 辰徳(はら たつのり、1958年7月22日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手・外野手)。
元プロ野球監督。
解説者。
読売ジャイアンツ球団特別顧問。
第15代・第17代読売ジャイアンツ監督、WBC第2回大会(2009)日本代表監督を務めた。
福岡県大牟田市生まれ、神奈川県厚木市育ち、相模原市(現南区)出身。
1980年代から1990年代中盤にかけて巨人の4番打者を務め、ON時代後の巨人を支えた。
入団から12年連続で本塁打20本以上を記録し、4番としての出場試合数は球団歴代4位である。
監督としてもチームを7度のリーグ優勝と3度の日本一に導いている。
2009年にはワールド・ベースボール・クラシック日本代表の監督を務め、世界一に導いた。
また、2008年より国際武道大学の客員教授も務める。
愛称は「(永遠の・平成の)若大将」。
父は東海大学付属相模高校や東海大学硬式野球部などで監督を務めた原貢。
辰徳と同じく東海大相模高校・東海大学の野球部に所属し、巨人に入団した菅野智之は甥(妹の子)にあたる。
年表 詳細は以下の#来歴を参照。
1958年 - 福岡県大牟田市に生まれる。

■ 映像作品

■ 関連書籍

■ 音楽作品

プロ野球、読売ジャイアンツの選手・監督。通称「若大将」。 右投右打、ポジションは主に三塁手。背番号は8番。身長181cm、体重88kg。 1958年、福岡県大牟田市生まれ。東海大相模高の選手として甲子園出場。 東海大学を経て、1981年、ドラフト1位で読売ジャイアンツ入団。“若大将”と呼ばれ、ファンの人気を集める。 1982から1992年まで巨人軍の4番打者を務め、主砲として活躍*1。 1995年、現役引退。 通算成績は打率.279、382本塁打、打点1093。 引退後はNHKの野球解説者*2を経て、1999年、ヘッドコーチとして球団復帰。 2002年、監督に昇格。就任1年目にしてセ・リーグ優勝、日本一の快挙を果たす。 2003年には成績不振を理由に自ら退任*3した。 2004年、名誉顧問となる一方、モルツ球団の選手としても活躍。 2006年、監督に復帰。 2007年、巨人をレギュラーシーズン優勝に導くも、クライマックスシリーズで落合監督率いる中日に1勝もできず、日本シリーズ出場権を逃す。ドリーム☆アゲインでは、ドラマ出演を果たした。 2009年、ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の2代目監督に就任し、日本代表を連覇に導いた。 同年、セ・リーグ優勝。日本シリーズで7年ぶりの日本一に輝き正力松太郎賞を受賞。 菅野智之は甥。 *1:巨人軍での4番としての出場試合数は、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治に次ぐ。1000試合出場はこの4名のみ。 *2:引退直後に放送された連続ドラマ「ふたりっ子」に読売ジャイアンツの監督という設定で出演している。 *3:3位での退任と言う異例の出来事の背景には、堀内恒夫を先に監督にすべきだと …… (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
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