清雲栄純きよくもえいじゅん
元男子サッカー選手、監督[日本]
1950年 9月11日 生 (満74歳)
清雲 栄純(きよくも えいじゅん、1950年9月11日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ラグビー選手、法政大学スポーツ健康学部教授。
サッカー選手時代のポジションはDF。
来歴=
中学時代までは野球をしていた。
山梨県立日川高校入学後、クラス対抗ラグビー大会の活躍によりまずラグビー部からスカウトされ、その後サッカー部にも入り、両部を掛け持ちするようになる。
サッカーでは県大会3位止まりだったが、主にフルバックやウイングとしてプレーしたラグビーでは3年生の時に全国高校ラグビー大会で準々決勝まで進出し、大会ベストフィフティーンにも選ばれた。
高校時代の同級生には有賀健とジャンボ鶴田がいる。
一般入試で法政大学社会学部社会学科へ入学し、在学中はサッカー部に入り、4年時にはキャプテンを務めた。
清雲は目立った実績がない無名選手だったため、日本サッカーリーグ(JSL)のチームからの誘いはなかったが巡回コーチとして各大学をまわっていた八重樫茂生の紹介によりテスト生として古河電気工業に入団する。
1年目の1973年からポジションを確保すると、1974年から1976年まで3シーズン連続でJSLベストイレブンに選ばれ、1976年には古河のJSL初優勝に貢献した。
1982年に引退するまでの10シーズンの通算成績は149試合6得点2アシスト。
日本代表には1974年6月6日のミドルセックス・ワンダラーズA.F.C.戦でデビュー。
FIFAワール ……
清雲栄純さんが誕生してから、74年と84日が経過しました。(27113日)