楠部彌弌くすべやいち
陶芸家[日本]
1897年 9月10日 生
1984年 12月18日 死去享年88歳
楠部 彌弌(くすべ やいち、1897年(明治30年)9月10日 - 1984年(昭和59年)12月18日)は、日本の陶芸家。
京都市東山区生まれ。
本名は彌一。
釉薬を磁土に混ぜて何度も塗り重ね、独特の深い色あいを生む「彩埏」の技法で知られる。
略歴=
1897年(明治30年)楠部貿易陶器工場を経営する楠部千之助の四男として生まれる。
1912年(明治45年)京都市立陶磁器試験場付属伝習所に入所し、1915年(大正4年)に卒業する。
1918年(大正7年)八木一艸、河村己多良らと赤土社を結成する。
同社は1923年(大正12年)に自然消滅するが、翌年彌弌は「百仏飾壷」をパリ万国博覧会に出品し、受賞。
1927年(昭和2年)八木一艸らと「耀々会」を結成する一方、帝展初入選を果たす。
1933年(昭和8年)帝展に出品した「青華甜瓜文菱口花瓶」が特選を受賞し、彌一を彌弌と改名する。
1937年(昭和12年)パリ万博で受賞。
戦後の1948年(昭和23年)京都工芸作家団体連合展を組織し、日展をボイコットしたことがあったが、1951年(昭和26年)芸術選奨文部大臣賞を受賞した。
1953年(昭和28年)青陶会を結成して指導にあたるとともに、伊東陶山らと搏埴会を結成する。
1954年(昭和29年)日本芸術院賞を受賞。
1962年(昭和37年)日本芸術院会員となる。
1969年(昭和44年)京都市文化功労者、1972年(昭和47年)毎日芸術賞・文化功労者、1975年(昭和50年)京都市名誉市民、1978年(昭和53年)文化勲章受章。
1982年(昭 ……
楠部彌弌さんが誕生してから、127年と72日が経過しました。(46459日)
亡くなってから、39年と339日が経ちました。(14584日)
31875日間 生きました。