安部光恭あべみつやす
ジャーナリスト[日本]
1930年 8月23日 生
2000年 12月13日 死去享年71歳
安部 光恭(あべ みつやす、1930年(昭和5年)8月23日 - 2000年(平成12年)12月13日)は日本のジャーナリスト、僧侶。
仏光寺住職、元静岡第一テレビ常務。
第3回菊池寛賞受賞。
略歴=
1930年(昭和5年)8月23日、静岡県伊東市に生まれる。
立正大学文学部を卒業後、松田竹千代の秘書を経て、昭和27年に読売新聞に嘱託記者として入社する。
1954年(昭和29年)3月、第五福竜丸ビキニ被爆事件をスクープし、読売新聞の正社員となる。
そのスクープにより、1955年(昭和30年)に第3回菊池寛賞を受賞する。
1969年(昭和44年)に退社し、木部佳昭の秘書、仏光寺副住職などを経て、1979年(昭和54年)に静岡第一テレビに入社する。
1985年(昭和60年)に取締役、1991年(平成3年)に常務、1993年(平成5年)に顧問を歴任し、その後、仏光寺の住職を務める。
参考=
『現代物故者事典 2000~2002』(日外アソシエーツ、2003)
外部リンク=
読売新聞 語り継ぐ福竜丸被曝60年 - 2年目のスクープ重荷に
安部光恭さんが誕生してから、94年と90日が経過しました。(34424日)
亡くなってから、23年と343日が経ちました。(8744日)
25680日間 生きました。