生年月日データベース

清水亘しみずわたる

水産学者[日本]

1900年 8月20日

1986年 9月20日 死去享年87歳

清水 亘(しみず わたる、1909年〈明治42年〉5月14日 - 1974年〈昭和49年〉1月26日)は、三重県熊野市出身の政治活動家。
略歴= 正則英語学校英文科卒業後、橋本欣五郎の『大日本青年党』(後の大日本赤誠会)に加わり、上海交響楽団の運営にも関与していたと自称。
敗戦数年後より右翼活動を本格化し、1948年4月26日『大日本独立青年党』を結党、同年中に内山昌宣(別名:富士宮瓊光)率いる『真正日本建設協議会』に加わり、次いで1949年10月3日『祖国防衛自衛団』を結成した。
また『全日本愛国者団体協議会』(後代の全日本愛国者団体会議と直接の関係は無い)も立ち上げ、孫文の『五民主義』(民族・民生・民治・民享・民友)を掲げて、徒党にナチスの物を摸した制服を着せ、主要駅頭でアジ演説を打つなどしていたが、この段階で勢力は弱小だった。
1951年2月8日に大村秀則、荒原朴水(大日本国民党)が催した『全国愛国者団体懇親会』に、福田素顕(防共新聞)、赤尾敏(大日本愛国党)、津久井龍雄(急進愛国党)ら有力者の末席に名を連ね、活動を本格化したものの、1952年2月25日に清水が改造拳銃所持・使用の銃刀法違反で懲役8ヶ月の実刑判決を受け、更に1957年5月1日には大日本独立青年党主催の会合に警察が突入、参加者の石井一昌(護国青年団)ら7名が銃刀法違反等で摘発される騒ぎを起こし、再度窮地に立たされた。
安保闘争が激化した1960年には、岸内閣の意を受けた児玉誉士夫や川島 ……

清水亘さんが誕生してから、124年と203日が経過しました。(45494日)
亡くなってから、38年と172日が経ちました。(14052日)
31442日間 生きました。

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