大渡順二おおわたりじゅんじ
医事評論家[日本]
1904年 8月17日 生
1989年 6月4日 死去享年86歳
大渡 順二(おおわたり じゅんじ、1904年8月17日 - 1989年6月4日)は、日本の医事評論家、記者。
来歴=
岡山県出身。
父・大渡忠太郎は植物学者で、第六高等学校(現・岡山大学)教授であった。
京都帝国大学中退。
朝日新聞社入社、政治経済部記者。
結核の闘病体験から医学知識の普及を目的として1946年に保健同人社を設立、雑誌『保健同人』を創刊。
54年医師守屋博と日本初の「人間ドック」を始めた。
日本エッセイストクラブ幹事。
著書=
新体制読本 新紀元社, 1940
結核療養のコツ 回復者は教える 保健同人社, 1955
医者の選び方 保健同人社, 1962.
医者のかかり方実用編 岡本正共著. 保健同人社, 1962.
健康ご意見番 朝日新聞社, 1965.
大渡順二文集. 1(私史) 保健同人社, 1981.7.
大渡順二文集. 2(随筆) (わたしの砂文字) 保健同人社, 1981.8.
大渡順二文集. 3(論索) (心をひらく) 保健同人社, 1990.6.
大渡順二さんが誕生してから、120年と96日が経過しました。(43926日)
亡くなってから、35年と170日が経ちました。(12954日)
30972日間 生きました。