石水幸安いしみずゆきやす
石屋製菓 創業者[日本]
1917年 8月12日 生
1985年 2月16日 死去享年69歳
石水 幸安(いしみず ゆきやす、1917年8月12日 - 1985年2月16日)は、日本の実業家。
石屋製菓創業者。
父の石水亀一の三男。
祖父は石水八郎。
八郎は1899年(明治32年)愛媛県宇摩郡関川村(現四国中央市)から、屯田兵として先に移住していた兄の石水七之助を頼って移住。
来歴=
北海道雨竜郡一已村(現深川市一已町)生まれ。
東亜商業学校(現東亜学園高等学校)卒業。
戦前は南満州鉄道株式会社に勤務した。
戦後、妻の郷里の広島を経て、北海道に引き揚げる。
1947年澱粉加工業を始め、後に駄菓子・生菓子の製造に従事。
1967年より高級菓子製造に路線を転換し、長男・勲の協力も得て1971年最初のヒット作「シェルター」を世に出す。
1976年に「白い恋人」を発売。
翌年飛行機の機内食に採用されたことから、全国的なヒット商品となった。
また、品質保持等の問題から、商品の販路を道内に限定する方針を取っていたことが、結果的に郷土土産の定番としても定着することに繋がった。
1979年脳梗塞で倒れ、翌年社長の座を長男の勲に譲って会長に退く。
また、元北海道放送所属のアナウンサー 山田泰子は義孫である(孫の妻)。
参考文献=
『石屋製菓50周年記念誌』1998年1月
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石水幸安さんが誕生してから、107年と101日が経過しました。(39183日)
亡くなってから、39年と278日が経ちました。(14523日)
24660日間 生きました。