岩井半四郎いわいはんしろう
歌舞伎役者・十代目[日本]
1927年 8月8日 生
2011年 12月25日 死去多臓器不全享年85歳
岩井 半四郎(いわい はんしろう)は、歌舞伎役者の名跡。
屋号は大和屋。
定紋は丸に三ツ扇(まるに みつおおぎ)、替紋は杜若丁字(かきつばた ちょうじ)。
定紋の丸に三ツ扇は初代の生家が扇商だったことに由来する。
解説=
「岩井半四郎」は初代から三代目までが上方歌舞伎で活躍する立役で、大坂岩井座の座元も兼ねる大名跡として知られていた。
四代目以降は系統がまったく異なるばかりか、後期江戸歌舞伎から明治歌舞伎において「岩井半四郎」は女形を代表する大看板の一つとして知られていた。
三代目半四郎は娘・おまんを四代目市川團十郎の後添えとして嫁がせていたが、宝暦10年にこの娘と婿を江戸に訪ねると、そこで客死してしまった。
この知らせを大坂で聞いた初代中村富十郎は「岩井半四郎」が絶えてしまうことを惜み、自身の高弟で養子に迎えていた二代目岩井半之助にこの大名跡を襲名させることにした。
富十郎は初代半四郎の孫娘を妻としていた縁から、岩井家のことは他人事にはできなかったのである。
これに納得できなかったのが三代目半四郎を看取ったおまつと團十郎だった。
彼らもまた当然のことながら「岩井半四郎」が絶えることを憂い、この大名跡を襲名するにふさわしい役者に思いを廻らせていたのである。
それは團十郎の高弟で、一座では自らの相方として常に傍らに置いていた二代目松本七蔵という者だった。
團十郎にとっては自身の前々 ……
岩井半四郎さんが誕生してから、97年と106日が経過しました。(35535日)
亡くなってから、12年と332日が経ちました。(4715日)
30820日間 生きました。