水木歌澄みずきかすみ
日本舞踊家[日本]
1914年 10月27日 生
2009年 11月13日 死去老衰享年96歳
大正3年10月27日、岩手県盛岡市生まれ。13歳の時に家族と上京、洋食レストランで働いて家計を支えた。一方、偶然に読んだ女優・飯田蝶子の自伝「いかにしてスターになったか」に感動し、飯田との縁で14歳で松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子の内弟子になり、踊りの指導も受けた。その後、水木流の坂東羽太蔵の通い内弟子となり、本格的に日本舞踊を学ぶ。傍ら、長唄、清元、常磐津、三味線も習い、15歳で代げいこ、4年目に歌澄の名で名取となった。昭和55年から東京水木会の理事長を務める。一方、20年疎開先の盛岡市に、日本舞踊の指導者を養成する日本初の舞踊学校・水木舞踊学校を創設。唄から三味線、鳴り物まで同時に指導する新方式の授業は高い評価を得、43年東京・大森に水木会館を開設するまでに発展。平成9年岩手県民会館で、創立50周年の記念舞踊会を開催した。(引用元・日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」)
水木歌澄さんが誕生してから、110年と25日が経過しました。(40203日)
亡くなってから、15年と8日が経ちました。(5487日)
34716日間 生きました。