生年月日データベース

毛利武彦もうりたけひこ

日本画家[日本]

1920年 8月25日

2010年 4月13日 死去肺炎享年91歳

1920(大正9)年8月25日、東京市荒川区日暮里に生まれる。父の教武は高村光雲門下の彫刻家。1935(昭和10)年、父の友人である川崎小虎に師事。38年東京美術学校日本画科入学、42年同校を繰上げ卒業となり徴兵され、45年台湾の山中で終戦を迎える。翌年復員し、家族が日本画家森村宜永宅に仮寓していた関係で、宜永より大和絵の技法を学ぶ。49年にかねてより敬愛していた山本丘人宅を突然訪ね、以後丘人に師事する。50年創造美術春季展に「風景」が入選。創造美術が新制作派協会と合流し新制作協会が設立された後は、新制作展日本画部に出品。55年第19回展、61年第25回展、62年第26回展で新作家賞を得、64年新制作協会会員となる。74年に新制作協会日本画部全員が同協会を退会し、創画会を結成した後は創画展に出品を続けた。クレーの作風を取り込んだ50年代の風景からビュッフェやミノーの影響を受けた骨太な表現を経て、70年代の馬シリーズや80年代のキリスト教に題材をとった作品などで自らの絵画世界を構築。重厚な構成と筆致により精神性を秘めた作風を築いた。55年に山本丘人門下の研究・発表会である凡樹画社、74年には美術団体の枠を超えて組織された遊星会、85年の創画会主力メンバーによる地の会の結成に参加。制作の一方、48年から82年まで慶應義塾高等学校の美術科教諭を務め、また58年より武蔵野美術大学で教鞭をとるなど長年後進の指導にあたった。1989(平成元)年武蔵野美術大学図書館において作品展を開催。91年同大学を定年退職、名誉教授となる。同年『毛利武彦画集』を求龍堂より刊行。没して間もない2010年夏には「毛利武彦の軌跡展」が練馬区立美術館で開催、翌年の一周忌には『幻駿忌 毛利武彦随想集』が刊行された。(引用元・日本美術年鑑 平成23年版)

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毛利武彦さんが誕生してから、103年と244日が経過しました。(37865日)
亡くなってから、14年と13日が経ちました。(5127日)
32738日間 生きました。