ポール・ルセサバギナPaul Rusesabagina
実業家[ルワンダ]
1954年 6月15日 生 (満70歳)
ポール・ルセサバギナ(Paul Rusesabagina, 1954年6月15日 - )は、ルワンダ出身の実業家。
ルワンダの首都キガリのオテル・デ・ミル・コリン(フランス語: Hôtel des mille collines)の副支配人の任にあった1994年、ルワンダ虐殺の中で1268人の人々をホテルに匿い救った行動によって、国際的に賞賛された。
ポール・カガメ政権批判の急先鋒であり、激しく対立している。
2018~2019年の武装組織への金銭的援助などが指摘され、「テロ行為」の罪で禁錮25年が言い渡されたが、2023年3月に恩赦によって2年半で解放された。
経歴=
生い立ち=
1954年6月15日、ルワンダ中南部のムラマ=ギタラマ (Murama-Gitarama) に農家の息子として生を受ける。
父親はフツ、母親はツチであり、当時は父親の血統が受け継がれたためフツとされた。
姓のルセサバギナはルワンダ語で「敵を追い払うもの」を意味し、名のポールはパウロに由来する。
1975年から1978年までカメルーンで神学を学び、1979年にサベナ航空に雇われ、アカゲラ国立公園内のホテル・アカゲラのフロントオフィス・マネージャーに就任する。
ここで観光・ホテル・ケータリング産業を学び、1980年から1984年にかけてナイロビのケニア・ウタリー大学でホテル経営を学ぶ。
1987年には、後の妻になるタチアナ(Tatiana、ツチ)と結婚式で出会っている。
その後再びサベナ社で働き始め、1984年10月から1993年11月までミル・コリン・ホテルの副総支配人を勤め、1992年には同じ ……
ポール・ルセサバギナさんが誕生してから、70年と159日が経過しました。(25727日)