金澤弘和かなざわひろかず
空手家・松濤館流[日本]
1931年 5月3日 生
2019年 12月8日 死去享年89歳
金澤 弘和(かなざわ ひろかず)
1931年(昭和6年)5月3日 ー 2019年(令和元年)12月8日(88歳没)。
岩手県出身の空手家。
國際松濤館空手道連盟宗家・最高師範(十段)。
船越義珍、中山正敏らに松濤館流空手道を学ぶ。
古くから海外で空手の指導を行い世界中に空手を広めた功労者の一人とされる。
海外では「センセイ・カナザワ」として知られる達人。
経歴=
岩手県下閉伊郡岩泉町小本の網元の8人兄弟(7男1女)の6番目(5男)として生まれる。
家業の関係で進学した岩手県立宮古水産高校から日本大学農獣医学部水産学科へ入学するも、空手を学ぶために当時、空手強豪校として知られた拓殖大学商学部へ編入学し空手部(副将)に籍を置き、船越義珍や中山正敏らに空手を学ぶ。
1956年(昭和31年)、大学卒業と同時に社団法人日本空手協会の第1期甲種研修生となる。
1957年(昭和32年)10月20日、東京・千駄ヶ谷の東京体育館で開催された日本空手協会主催の第1回全日本空手道選手権大会では形の部に各地区から選抜された16名が覇を競い、組手の部では選抜30名に協会総本部による指定選手10名を加え、計40名が一本勝負(決勝のみ三本勝負)で頂点を目指すことになった。
組手の部に東京代表の金澤は左手首骨折でギプスをつけた状態で2回戦から指定選手として出場し、関東代表の瀬戸口広司選手を廻し蹴り、3回戦に東京代表の宇佐美毅選手を前蹴り、4回戦に東京代表の森正隆選手を同じく前蹴り、準決 ……
金澤弘和さんが誕生してから、94年と271日が経過しました。(34605日)
亡くなってから、6年と52日が経ちました。(2244日)
32361日間 生きました。



