宇佐美承うさみしょう
作家[日本]
1924年 5月1日 生
2003年 5月7日 死去享年80歳
宇佐美 承(うさみ しょう、1924年5月1日 - 2003年5月7日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。
妻は新田義美の娘の公子。
来歴=
中国の天津に生まれる。
自著で、父は外国関係の案件を手がける弁護士だったと記している。
幼少期は兵庫県武庫郡御影町(現・神戸市東灘区)で育つ。
この時期、近くに住む造船技師で実業家の笹子謹(ひとし)が開いていたアトリエに通い、伊谷賢蔵やその後任の八島太郎・光(光は笹子謹の娘)夫妻に絵を習った。
小学校は師範学校の附属小学校に通い、その後「スパルタ教育で名だかい県立中学校」に進学する。
在学中に病気療養のため、通常よりも2年遅れて中学校を卒業する。
当時、すでに徴兵年齢が1年繰り下げられていたうえ、希望だった高等学校の文科に進むことは兵役に直結したため、医学専門学校に進む。
日本の敗戦後に医学専門学校を退学し、高等学校文科に改めて入学した。
東京大学文学部を卒業後、1953年に朝日新聞社に入社した。
朝日新聞では名古屋本社報道部や調査研究室に在籍した後、「朝日ジャーナル」編集部に移った。
1979年に記者を退職して記録文学作家に転身し(ただし1981年時点では朝日新聞社出版局嘱託だった)、1982年、『さよなら日本 絵本作家・八島太郎と光子の亡命』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
この書籍は幼少期、そして1970年以降親交を持った両人を題材としながらも、二人の「過 ……
宇佐美承さんが誕生してから、100年と205日が経過しました。(36730日)
亡くなってから、21年と200日が経ちました。(7870日)
28860日間 生きました。