お由羅の方おゆらのかた
島津斉興 側室[日本]
(寛政7年生、島津久光の生母)
1795年 生
1866年 12月4日 死去享年72歳
文政7年(1824年)に斉興の正室・弥姫が死去すると、由羅は、当時弥姫との子(島津斉彬、池田斉敏)以外で斉興の生き残った息子を生んだ唯一の生母であったこともあり「御国御前」と呼ばれて正室同様の待遇を受けた。
その後、息子・久光の藩主就任を謀り、長兄・斉彬の廃嫡を目した事からお由羅騒動と呼ばれるお家騒動(高崎崩れともいう)を巻き起こしたとされるが、騒動の鎮圧後に罰を受けることはなかった。
斉彬急死後に孫・忠義が藩主に就任したところも見届け、慶応2年(1866年)、鹿児島城下で死去。
墓所は福昌寺跡にあり、鹿児島市玉里町に「由羅屋敷」と呼ばれる建物が残っている(見学は出来ない)。
なお、孫である忠義の七女俔子は久邇宮邦彦王に嫁し、その長女良子女王は、大正天皇の第一皇子・迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)の妃となった。
亡くなってから、159年と190日が経ちました。(58265日)
