薄井憲二うすいけんじ
バレエダンサー、振付師[日本]
(バレエダンサーの草分け)
1924年 3月30日 生
2017年 12月24日 死去悪性リンパ腫享年94歳
薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 2017年12月24日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者、舞踊評論家、舞踊史研究家。
蘆原英了、東勇作に師事してバレエを学び、第2次世界大戦後の日本バレエ界で活躍した。
1930年代から収集を続けているバレエ関連の文献資料は、個人が収集したものとしては世界有数といわれる。
モスクワ国際バレエコンクールやヴァルナ国際バレエコンクールなど内外のバレエコンクールの審査員を歴任し、2006年に第4代日本バレエ協会会長に就任した。
経歴=
東京で生まれた。
母や姉とともに歌舞伎や宝塚歌劇団などの舞台を観に行くことが多く、幼少時から踊りを見るのは好きだった。
バレエを初めて観たのは、母が後援していた女学校の記念公演に出演したエリアナ・パヴロワの舞台であった。
バレエにはっきりと関心を持ったのは中学校に入る前で、レコード店で偶然聞いたイーゴリ・ストラヴィンスキーの『火の鳥』がきっかけであった。
今まで聞いていたクラシック音楽とは全く異なる世界に衝撃を受けて『火の鳥』について調べ始め、バレエ・リュスの存在に行き当った。
1941年1月、東勇作バレエ団の『牧神の午後』、『薔薇の精』の公演を観る機会が訪れた。
バレエ・リュスの演目にも入っていたこれらの作品は薄井を感激させ、東の迫力とカリスマ性にも惹かれたが、自分からバレエを習いにゆく勇気はまだなかった。
その時のプログ ……
薄井憲二さんが誕生してから、100年と236日が経過しました。(36761日)
亡くなってから、6年と332日が経ちました。(2524日)
34237日間 生きました。