赤松蕙子あかまつけいこ
俳人[日本]
1931年 1月18日 生
2012年 5月7日 死去急性肺炎享年82歳
赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 2012年5月7日)は、広島県出身の俳人。
本名蕙。
大柿町(現江田島市)生。
旧制広島県立広島第一高等女学校を経て広島県広島有朋高等学校卒業。
1947年、俳誌「雪解」に入会、皆吉爽雨に師事。
1953年、山口県徳応寺に嫁ぐ。
「鶴啼いて月に一滴づつの金」「眠りみなこの世にさめて櫻どき」など、宗教性を持ちつつ着想に富む句風。
1975年、『白亳』により第15回俳人協会賞受賞。
1994年、山口県選奨(芸術文化功労)受賞。
句集に『子菩薩』『白亳』『天衣』『散華』『月幽』『海戀』『佩香』。
また、俳人協会の「自註現代俳句シリーズ(3期)」に『赤松蕙子集』がある。
参考文献=
『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
出典=
^ 訃報 2012年5月 参照
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赤松蕙子さんが誕生してから、93年と308日が経過しました。(34276日)
亡くなってから、12年と198日が経ちました。(4581日)
29695日間 生きました。