桑原楽之くわはらやすゆき
元男子サッカー選手[日本]
1942年 12月22日 生
2017年 3月1日 死去肺炎享年76歳
桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - 2017年3月1日)は、広島県広島市白島(現中区)出身 のサッカー選手。
実兄は桑原弘之。
1968年メキシコシティオリンピック銅メダリスト。
来歴=
8人兄弟で男は弘之と楽之の二人だけ。
1960年代の日本サッカーのメッカ・広島に生まれ、幼少期からサッカーに親しむ。
広大付属小、広大付属中学の抽選をいずれも落ちて白島小、幟町中学に進む。
白島小の隣りに広島市立基町高等学校があり、5年生の時に渡辺正と佐伯博司がプレーしていて、楽之はいのまにか同校でボール拾いを始める。
入学した幟町中学にはサッカー部がなかったが、桑原を中心に創部。
実兄の弘之がコーチを勤めた。
1959年、3度目の正直で広大付属高校に入学。
付属中学以外の中学からの入学者は、がり勉タイプと決まっていたが、楽之がサッカーに熱中するので担任がびっくりしたという逸話が残る。
1年からすぐレギュラーとなり2年の時、エースフォワードとして桑田隆幸、野村尊敬、小城得達、溝手顕正、船本幸路らと全国高校サッカー選手権大会に出場して準優勝、国体は準優勝、3年時はベスト8。
AFCユース選手権1961の日本代表にも小城と共に選出された。
中央大学に進学してサッカー部に入部して1年からレギュラー。
1962年、小城や同郷の野村六彦、岡光龍三らと長沼健、宮本征勝、川淵三郎らを擁して天皇杯3連覇を狙った古河電工を決勝で破り中大に初優勝をも ……
桑原楽之さんが誕生してから、81年と348日が経過しました。(29933日)
亡くなってから、7年と278日が経ちました。(2835日)
27098日間 生きました。