米田興弘よねだおきひろ
映画監督[日本]
1954年 5月8日 生 (満71歳)
米田 興弘(よねだ おきひろ、1952年〈昭和27年〉5月8日 - )は日本映画の映画監督。
長野県出身。
経歴=
大学卒業後の1976年(昭和51年)に東宝映画に助監督として入社。
1982年(昭和57年)に文化庁の在外研修生として渡米。
主に黒澤明作品の監督助手についていた。
1996年(平成8年)、プロデューサーの富山省吾と製作部長の森知貴秀からの勧めで、映画『モスラ』にて監督デビューした。
その後はテレビディレクターとして活躍する。
人物=
米田は映画について、メッセージや作家性は不要と述べており、見る楽しみや驚きがなければ価値がないと語っている。
富山は、米田について叙情性を持っており、本多猪四郎とも交流があったことから娯楽映画のアプローチ法を心得ていたと評している。
米田自身は、本多にはとても敵わないが、理想だけは高く持とうと決めたと述べている。
『モスラ』のオファーを受けた際、米田は助監督を20年続けて映画の仕事はそろそろ潮時と考えており、巡ってきた幸運だと思いこれを引き受けた。
モスラシリーズに出演した小林恵は、米田について必ず笑顔で役者の前に現れ、人の話をきちんと聞き入れ、自身らが一生懸命になれる演出を行っていたと述べている。
共演者の山口紗弥加は、米田から細かい部分まで説明を受け、演技しやすい環境を作ってもらったと語っている。
同じく羽野晶紀も、米田はいつも現場の中で一番楽しそうにしていたと証 ……
米田興弘さんが誕生してから、71年と214日が経過しました。(26147日)


![【映画チラシ】モスラ 米田興弘 田中友幸 川北紘一 [映画チラシ]](https://m.media-amazon.com/images/I/51EQzf-ukLL._SL160_.jpg)
