黒沢のり子くろさわのりこ
女優[日本]
1947年 11月28日 生 (満77歳)
黒沢 のり子(くろさわ のりこ、1947年11月28日[1] - )は、日本の元女優。
本名、正木 則子[1]。
宮崎県真幸町(現・えびの市)出身[1]。
淑徳学園高等学校卒業[1]。
来歴=
父は電電公社の職員をしていた[2]。
きょうだいは兄と弟がいる[2]。
父親の転勤により、小学生から中学生時代は宮崎県から東京都、埼玉県と居住地を転々とした[2]。
1961年より2年間劇団ひまわりに所属[1]。
高校卒業後、黒沢 妙子の芸名で東映映画『網走番外地 大雪原の対決』などに出演[1]。
その後アメリカへ渡り、俳優のジョン・ウェインの娘婿の弟の家に身を寄せる。
演劇修業のための渡米だったが、この時は映画には全く興味を示さなかった[2]。
その後東京へ戻り、20歳の時に『新劇場』に入り[2]、1970年からは東宝テレビ部に所属し『アテンションプリーズ』『ワン・ツウ・アタック!』などのテレビドラマに出演するが、のちに東宝テレビ部を退社[1][注釈 1]。
『アテンションプリーズ』当時のプロフィールでは「将来は息の長い女優になることです。
自分自身で女優を目指したので全力を尽くします」と述べている[3]。
1972年、テレビドラマ『木枯し紋次郎』の第3話「峠に哭いた甲州路」の出演中に葛井欣士郎に見出され[2]、同年の映画『音楽』で主役を演じる[1][5]。
『音楽』を監督した増村保造は、「彼女はあまり器用ではなく、ベッドシーンでもすぐに笑い出すなどおかしいところがあったが、注文によく応 ……
黒沢のり子さんが誕生してから、77年と215日が経過しました。(28339日)