小栗孝一おぐりこういち
元岐阜県馬主会長[日本]
(オグリキャップの馬主)
1929年 12月5日 生
2015年 10月8日 死去享年87歳

小栗 孝一(おぐり こういち、1929年12月5日[1] - 2015年10月8日[2])は、日本の実業家。
競走馬の馬主としても知られ、顕彰馬オグリキャップの初代馬主である。
岐阜県郡上郡八幡町[1]日の出町(現・郡上市)出身。
略歴=
出生時の姓は和田。
5歳のときに伯母(母の姉)の養子となり、小栗姓となった。
高等小学校を卒業後は兄が勤める鉄工所で働き、1954年から米菓子の原料の仕入れ販売業、バーナーの開発・販売業、印刷機の販売業、次いで化学薬品製造業[1]を営んだ。
馬主としては当初地方競馬の馬主資格しか有していなかったが、オグリキャップの活躍後の1989年7月に[1]中央競馬の馬主資格も取得し、オグリローマンでクラシック優勝を達成した。
馬主としての所有馬=
小栗の勝負服
服色は青、黄菱山形、桃袖赤一本輪を使用。
オグリオー[1]
オグリマンナ
オグリキャップ(笠松競馬場所属時のみ[1])
オグリホワイト
オグリローマン[1]
オグリダンディ
オグリシルク
オグリオトメ
オグリタイム
オグリテツ
オグリトウザイ
小栗孝一さんが誕生してから、95年と207日が経過しました。(34906日)
亡くなってから、9年と266日が経ちました。(3553日)
31353日間 生きました。