生年月日データベース

井上源三郎いのうえげんざぶろう

新撰組隊長[日本]

(文政12年3月1日生)

1829年 4月4日

1868年 1月29日 死去戦死享年39歳
井上源三郎 - ウィキペディアより引用

井上 源三郎(いのうえ げんざぶろう、文政12年3月1日(1829年4月4日) - 慶応4年1月5日(1868年1月29日))は、新選組の六番隊組長。
諱は一重、後に一武(かずたけ)。
来歴= 武蔵国日野宿北原(現在の東京都日野市日野本町)にて、八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として生まれる。
兄・松五郎は千人同心。
弘化4年(1847年)頃、天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門。
佐藤彦五郎が天然理心流の出稽古用に設けた道場で土方歳三らと共に稽古に励んだ。
また、源三郎は近藤勇の兄弟子でもあり、彼らとはこの頃親交を深めたとされる。
万延元年(1860年)、免許皆伝。
しかし、免許皆伝まで10年ほどかかった努力家タイプで、誤解も受けたのか「文武ともに劣等」と評されたこともある。
学問は日野宿金子橋にあった日野義貴の寺子屋にて学ぶ。
文久2年(1862年)2月、浪士組に近藤・土方らと参加。
文久3年(1863年)に芹沢鴨一派が粛清されると副長助勤に就任する。
元治元年(1864年)の池田屋事件では土方隊の支隊の指揮を担当。
近藤隊が斬り込んだという知らせを受けて部下と共に池田屋に突入、8人の浪士を捕縛する活躍を見せる。
慶応元年(1865年)6月の組織再編成では六番隊組長に任じられ、慶応3年(1867年)6月、新選組が幕府直参に取り立てられると、副長助勤として七十俵三人扶持を与えられる。
慶応4年1月、鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、新選組は淀まで ……

井上源三郎さんが誕生してから、195年と230日が経過しました。(71454日)
亡くなってから、156年と296日が経ちました。(57275日)
14179日間 生きました。

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