井上通女いのうえつうじょ
歌人[日本]
(万治3年6月11日生)
1660年 7月18日 生
1738年 8月8日 死去享年79歳
井上 通女(いのうえ つうじょ、万治3年6月11日(1660年7月18日) - 元文3年6月23日(1738年8月8日)) は、江戸時代の歌人。
幼名は「初」。
別名に振、玉、感通。
井上儀左衛門の娘(四女)。
生涯=
四国・丸亀藩主京極家の家臣である父親の儀左衛門は、朱子派の儒者であった。
母親は渡辺孫左衛門の娘栄林尼(名前は栄)。
学者であった父の教育を受け、母から和歌、堀江治部斎から書道を学び、年齢1桁の若い頃から学問に通暁、7〜8歳頃に『源氏物語』をそらで覚え、12〜13歳頃から漢籍を学んだ。
16〜17歳の時、著書『処女賦』『深閏記』を執筆。
22歳の時に藩から声がかかり、当時の丸亀藩主・京極高豊の母堂養性院に待女として出仕することとなり、天和2年(1682年)父に随伴して江戸へ向かう。
丸亀から船で大坂・難波に渡って関所の御しるし(通行手形)をもらうものの、江戸に向かう道中、東海道の新居関所で通行手形の書き方のわずかな不備を指摘されて、数日間の足止めをもらう。
この道中で『東海日記』を執筆。
江戸での在住中に『江戸日記』を執筆する。
江戸では、母の待女という本来の職のほかにも、藩主の他の大名たちとの社交場に随伴して和歌や漢詩をつくるなど、殿様ご自慢の才女として相伴役もこなしていた。
30歳の時、藩候の母堂が亡くなったのを機に故郷の丸亀へ帰郷する。
道中、『帰家日記』を執筆した。
帰郷後は、丸亀藩士・三田宗寿(茂左衛門)と ……
井上通女さんが誕生してから、364年と123日が経過しました。(133074日)
亡くなってから、286年と103日が経ちました。(104565日)
28509日間 生きました。