一遍いっぺん
僧侶、時宗開祖[日本]
(延応元年2月15日生)
(ユリウス暦) 1239年 3月21日 生
(ユリウス暦) 1289年 9月9日 死去享年51歳
一遍(いっぺん、英語: IPPEN)は、鎌倉時代中期の僧侶。
時宗の開祖。
全国各地で賦算(ふさん)と呼ばれる「念仏札」を渡し、踊りながら南無阿弥陀仏(念仏)と唱える「踊り念仏」を行った。
徹底的に自身の所有物を捨てたことで「捨聖(すてひじり)」とも呼ばれた。
一遍は、承久3年(1221年)の承久の乱により没落した伊予国(愛媛県松山市)の豪族の河野家の次男として延応元年(1239年)に生まれる。
宝治2年(1248年)に10歳より仏門に入り、建長3年(1251年)からは太宰府の聖達上人の元で、浄土教を学んだ。
弘長2年(1262年)に父の訃報を受けると、一度故郷に帰り、半僧半俗の生活を続けていたが、文永8年(1271年)に33歳で再出家し、文永11年(1274年)より全ての財産を捨て一族とも別れ 16年間の遊行の旅に出る。
熊野本宮大社に着いた時、夢の中に白髪の山伏の姿をした熊野権現(阿弥陀如来)が現れ、「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されているので、あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければなりません。
」とのお告げを受けて歓喜し、この時から一遍と称し、念仏札の文字に「決定(けつじょう)往生/六十万人」と追加し、諸国遊行を続けた。
弘安2年(1279年)からは、長野県佐久市で一遍が尊敬してやまない平安時代の僧侶空也が始めた輪になって念仏をとなえながら踊る、踊り念仏を始めた。
一遍は、学問や理論ではなく、「 ……