石川秀穂いしかわしゅうほ
日本画家[日本]
1894年 10月5日 生
1956年 死去享年63歳
大館市弁天町生まれ。富次郎の長男で本名新明。父富次郎は、狩野派の石川漁舟(初め北雲)の号で知られた。富次郎は秋田市の小室怡々斎(いいさい)の門人というから、寺崎広業と同門ということになる。 父を画家に持った秀穂は、十七歳で角館町出身の西宮礼和(当時東京)に就いて四条派を学び、のち歴史画の高橋広湖に入門している。広湖は尾竹竹坡とともに、巽画会の重鎮として知られ、土崎の荒井広成の師でもあった。広湖の次に花鳥山水の池上秀畝の伝神画塾にはいって学ぶ。気骨のある人で、中国行きのとき、東京駅まで兄送った門人たちが、師を後列において、万歳をしたところ、秀穂は慣慨し、無礼ではないかと音頭取りの人に食ってかかったという話もある。酒、たばこ、勝負事は大嫌いという硬骨漢。戦時中、大館市部垂町に疎開し、そこで亡くなった。(参照元・秋田魁新聞社 秋田人名大辞典)
石川秀穂さんが誕生してから、130年と46日が経過しました。(47529日)