浅野忠あさのただし
広島藩士、家老、厳島神社宮司[日本]
(文政2年10月8日生)
1819年 12月5日 生
1892年 11月14日 死去享年74歳
幕末の広島藩士。広島藩家老・三原城主。安芸広島生。通称主殿・大和・遠江・飛騨・仲之丞・忠助、名は忠厚、号は榎蔭。忠順の子。家老として藩政改革に力を入れるが、藩主浅野長訓に入れられず一時帰国。三原では兵制を改革、洋学館を設置し藩士を教育。文久2年(1862)再び家老職につき諸政の改善に努めた。維新後は厳島神社・淡路伊弉諾神社宮司を務めた。明治25年(1892)歿、74才。(参照元・美術人名辞典)
浅野忠さんが誕生してから、204年と351日が経過しました。(74862日)
亡くなってから、132年と6日が経ちました。(48219日)
26643日間 生きました。