高畠達四郎たかばたけたつしろう
画家[日本]
1895年 10月1日 生
1976年 6月26日 死去享年80歳
高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう、1895年10月1日 - 1976年6月26日)は、日本の画家。
独立美術協会会員。
1952年2月に「暮色」で毎日芸術賞を受賞。
略歴=
1895年10月1日、東京市神田区の雑穀問屋に生まれた。
四男三女の末子。
東京女子高等師範学校幼稚園では同級生に鈴木信太郎(仏文学者)がいた。
1908年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、1913年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
第七高等学校(現・鹿児島大学)文科と海軍兵学校に合格したが入学しなかった。
1年後の1914年には慶應義塾大学部理財科(現・経済学部)に入学したが、中退して本郷洋画研究所に入所。
1919年の光風会展で初入選を果たした。
1921年に神戸から渡仏し、パリではアカデミー・ランソンに通った。
中山巍、福沢一郎、大石七介とともにロルヌ街32番地のアトリエに住み、後には鈴木伸太郎も迎えた。
モイーズ・キスリングらのエコール・ド・パリの影響を受けた。
1928年に7年のフランス生活を終えて帰国すると、梅原龍三郎の勧めで国画会に出品したが、1930年には独立美術協会の結成に参加し、以後独立展を主要な活動の場とした。
1952年2月に毎日芸術賞を受賞。
1976年6月26日、東京都港区の自宅で死去。
80歳。
墓所は東京都文京区の伝通院。
高畠家の墓石
代表作品=
プチ・ジャン
裸木と海
暮色
高畠達四郎さんが誕生してから、129年と51日が経過しました。(47168日)
亡くなってから、48年と148日が経ちました。(17680日)
29488日間 生きました。