河野通勢こうのみちせい
画家[日本]
1895年 6月10日 生
1950年 3月31日 死去肺炎享年55歳
ペトル河野通勢( - こうの みちせい、1895年6月10日 - 1950年3月31日)は、日本の画家、版画家。
風景画、人物画(自画像含む)、銅版画、木版画、小説等の挿絵、装丁、山水画、南画など、その膨大な量の作品が占めるジャンルは多岐に亘っているのみならず、画風もまた題材・時期によって様々な展開をみせており、舞台美術なども手がけている。
代表作には関東大震災に取材した多数の銅版画が挙げられる。
父の河野次郎(下野国足利藩士、旧姓杉本、聖名:アレクセイ)は長野師範学校の図画教師も務め、高橋由一の門下で洋画の普及・教育に尽力した洋画家であり、後に写真家となった熱心な正教徒であった。
通勢も9歳の時に正教の洗礼を受けた。
「ペトル」はこの時受けた聖名。
このことからキリスト教、正教に題材をとった作品も数多い。
白樺派の武者小路実篤との交流、岸田劉生が率いていた草土社への参加といった、同時代人との関係も注目される。
岸田の遺品の中にも通勢の作品があった。
生涯=
幼少~青年時代=
22歳まで長野に暮らした(出生地については長野県上水内郡長野町字南県町(長野市南長野)という説と、父の本籍地群馬県佐波郡伊勢崎町(伊勢崎市)という説がある)。
小学生時代に学校から許可を得て開催された展覧会を、3学年年長の草川信と指揮するなど、幼少の頃から美術に才能を発揮する一方で、友人達と野球をし、裾花川で水泳をして遊び、中学時代に ……
河野通勢さんが誕生してから、129年と164日が経過しました。(47281日)
亡くなってから、74年と235日が経ちました。(27264日)
20017日間 生きました。