生年月日データベース

ラウラ・バッシLaura Maria Caterina Bassi Veratti

物理学者[イタリア]

1711年 10月31日

1778年 2月20日 死去享年68歳
ラウラ・バッシ - ウィキペディアより引用

ラウラ・バッシ(Laura Bassi, 1711年10月31日 - 1778年2月20日)はイタリアの物理学者、科学者。
ヨーロッパの大学で初めて教授となった女性である。
1732年にボローニャ大学の解剖学の教授に任命された。
来歴= ボローニャで、経済的に恵まれない環境のもとに生まれた。
きょうだいのうちで一人だけ生き残った。
弁護士だった父は、たったひとりの子によりよい教育を受けさせたいと望んだ。
5歳のときにラテン語やフランス語、数学の学習を始めた。
12歳のとき、医学教授の直弟子としてボローニャ大学への入学が許された。
1731年、19歳のとき、師の医学教授がラウラの語学と自然哲学への造詣を見抜き、その知識を披露して能力を試す催しを開いて地元の一流の学者たちを招いた。
ランベルティーニ枢機卿、のちの教皇ベネディクトゥス14世も出席者の一人として感銘を受けた。
1732年、ボローニャ科学芸術アカデミーの名誉会員となった。
同1732年、大学と市議会の決定により、哲学の学位が授与された。
弁論会は1732年4月17日に執り行われた。
学位取得のために行われた発表における演題は49あり、大半が物理学関連で、形而上学や論理学に関するものもあった。
このとき大学で講義を行う権利も得たが、その際には教授からの特認が必須だった。
1735年、ガブリエッレ・マンフレディ(イタリア語版)(1681-1761)のもとで数学の研究に着手した。
同1735年、女性として初めて、バチカン図 ……

ラウラ・バッシさんが誕生してから、313年と20日が経過しました。(114343日)
亡くなってから、246年と272日が経ちました。(90124日)
24219日間 生きました。