川原泉かわはらいずみ
漫画家[日本]
1960年 9月24日 生 (満64歳)
川原 泉(かわはら いずみ、1960年9月24日 - )は、日本の漫画家。
女性。
鹿児島県指宿市出身、鹿児島市在住。
鹿児島大学法文学部卒業。
専攻は日本史。
来歴=
大学4年在学中に、初めての漫画「ジュリエット白書」を『花とゆめ』に投稿。
その後、大学の教授の紹介で地元女子校の教員採用の面接を受けたが、良妻賢母教育と勉学のどちらを優先するかという質問に「もちろん勉学」と答えた結果、不採用となる。
この件が川原のお嬢様学校コンプレックスの元となったという。
以降は目標を漫画に定め、1983年、『花とゆめ』増刊に掲載された「たじろぎの因数分解」でデビューした。
以来、白泉社を中心に活動。
1985年、「ゲートボール殺人事件」の頃、東京へ引越しし、世田谷区に住む。
1986年、アイススケート漫画『銀のロマンティック…わはは』の取材のため札幌を訪れた際に、当時の担当編集者が同じだった縁で三原順と会い、交流は三原の病没まで続いた。
1987年、初の長期連載となった『笑う大天使(わらうミカエル)』の仕事が一段落し、一旦帰郷した際に初めてファミリーコンピュータを購入し、『女神転生』などのゲームに熱中。
『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の影響で『魔法の国ザンス』シリーズなどのファンタジーにも興味を持つに至る。
1988年、「笑う大天使 オペラ座の怪人」の原稿を落としてしまい、打ちひしがれた川原は都落ちを決意、 ……
川原泉さんが誕生してから、64年と58日が経過しました。(23434日)