ヨハネス8世パレオロゴスJohannes VIII. Palaiologos
東ローマ帝国皇帝[東ローマ帝国]
(ユリウス暦) 1392年 12月18日 生
(ユリウス暦) 1448年 10月31日 死去享年57歳
ヨハネス8世パレオロゴス(ギリシア語: Ιωάννης Η' Παλαιολόγος, ローマ字転写: Iōánnēs VIII Palaiológos, 1392年12月18日 - 1448年10月31日)は、東ローマ帝国パレオロゴス王朝の皇帝(在位:1425年 - 1448年)。
マヌエル2世の長男。
中世ギリシア語表記ではヨアニス8世パレオロゴス。
生涯=
「今の帝国に必要なのは皇帝ではない」-東西キリスト教会の合同と十字軍の結成による対オスマン帝国強硬政策を主張するヨハネスに対し、慎重な外交論を採るよう諭した父マヌエル2世は、息子がそれを聞き入れようとしなかった事を見届けて呟いたと言われる。
ヨハネスは若年から父や弟テオドロス2世を助け、帝国辺境領のペロポネソス半島に於いてアカイア公国との戦いで大きな功績を挙げていた。
その為か、ヨハネスは自信に満ちた強気な性格であり、人生の大半をオスマン帝国との薄氷を踏むような外交関係に費してきたマヌエル2世には大いに不安なものと映ったと思われる。
東ローマ帝国に好意的であったオスマン朝のスルタン・メフメト1世が崩御(1421年)し、ムラト2世が即位した時、東ローマ宮廷内では二つの外交政策が論じられた。
マヌエル2世はムラトが穏和な性格であり父同様に東ローマとの友好政策を維持しようとしている事を知っており、現状の維持を訴えた。
一方、ヨハネスは彼自身が捕らえミストラスに拘留していたメフメト1世の兄弟(偽)ムスタファを擁立し、彼がヨーロッパ側の ……