越後正一えちごまさかず
伊藤忠商事 元社長・元会長[日本]
1901年 4月26日 生
越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月26日 - 1991年(平成3年)4月2日)は、日本の実業家。
元伊藤忠商事社長・会長。
戦後再発足した伊藤忠商事・初代社長・小菅宇一郎の後任者。
「伊藤忠中興の祖」、「繊維相場の神様」とよばれた。
滋賀県出身。
略歴=
1901年(明治34年)4月26日、滋賀県愛知郡葉枝見村(現彦根市)に生まれる。
1916年(大正5年)2代目伊藤忠兵衛宅に書生として入り、同宅より学校に通い、八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)を経て、1924年(大正13年)に神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業した。
以下の逸話がある。
滋賀の農家の三男として生まれた越後さんは、医者になることを夢見た。
しかし家庭の事情で進学は叶いそうにない。
そんなとき、一生を決定づける出会いがあった。
二代伊藤忠兵衛。
高等科卒業予定者の採用試験会場に現れた忠兵衛氏の目に、試験で満点をとった越後さんの姿が映った。
即座に伊藤忠への採用が決定し、忠兵衛氏の家に書生として迎えられた。
「どうか一流の商人に育ててやってください」と父は頼んだ。
「この幸運に恵まれていなければ今の私はあり得なかった。
人の一生は、よき指導者にめぐり会えるかどうかで大きく左右されるものだ」。
以来、半世紀以上、忠兵衛さんに尽くし、社業に尽くした。
伊藤忠入社後は数々の大相場をものにし「繊維相場の神様」と呼ばれ、伊藤忠商事を世界 ……
越後正一さんが誕生してから、123年と209日が経過しました。(45135日)