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マリー・ド・メディシスMarie de Medicis

フランス国王アンリ4世の王妃[イタリア→フランス]

(ユリウス暦) 1573年 4月26日

マリー・ド・メディシス - ウィキペディアより引用

マリー・ド・メディシス(仏: Marie de Médicis, 1575年4月26日 - 1642年7月3日)は、フランス国王アンリ4世の2番目の王妃で、ルイ13世の母である。
生涯= イタリア・フィレンツェの名門メディチ家に生まれる。
イタリア語名はマリア・デ・メディチ(Maria de' Medici)。
父はトスカーナ大公フランチェスコ1世。
ヴァロワ朝最後の3人の王の母であるカトリーヌ・ド・メディシスとは遠縁の同族である。
1600年、27歳の時に、前妻マルグリット・ド・ヴァロワと離婚したばかりのアンリ4世に見初められ、フランス王室に嫁いだ。
が、これは国の財政が逼迫していたためにアンリ4世が15万ポンドもの持参金を目当てにした政略的婚姻であった。
アンリ4世の女好きは有名で、生涯で50人もの愛人がいたともいわれる。
夫が留守がちなことに加え、結婚当初フランス語が喋れなかったマリーの王宮での暮らしは孤独感が付きまとっていたという。
それを紛らわすためか、マリーの浪費癖は尋常ではなく、毎日のように宝石を購入したりした挙句、せっかくの持参金もほとんど底をついてしまうほどであった。
1601年、待望の世継ぎであるルイ13世を出産したことにより、王宮での立場は一気に向上する。
そして、他に5子をもうける(成長したのはスペイン王フェリペ4世王妃イザベル、サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世妃クリスティーヌ、オルレアン公ガストン、イングランド王チャールズ1世王妃アンリエッ ……