フアン・アントニオ・サマランチJuan Antonio Samaranch
国際オリンピック委員会(IOC) 元会長[スペイン]
1920年 7月17日 生
2010年 4月21日 死去享年91歳
フアン・アントニオ・サマランチ・トレジョー(スペイン語:Juan Antonio Samaranch Torelló、カタルーニャ語:Joan Antoni Samaranch i Torelló ジュアン・アントーニ・サマランク・イ・トゥラリョー、1920年7月17日 - 2010年4月21日)は、スペイン・バルセロナ出身のスポーツ官僚。
1980年から2001年にかけて国際オリンピック委員会(IOC)の会長を務めた。
フランコのファランヘ党の熱心な支持者だった。
来歴=
繊維業を営む裕福な一族に生まれたサマランチは、少年時代にローラーホッケーに親しんだ。
スペイン内戦では当初共和国派として戦うが、第二共和国政府には懐疑的で、程なくフランスに出る。
内戦がスペイン国粋主義の反乱軍の勝利で終わると帰国し、フランシスコ・フランコのファシスト党であるファランヘ党に加わった。
サマランチは、フランコが死ぬまで自身を「100%のフランコ主義者」と呼んで、はばからなかった。
サマランチはスポーツ・ジャーナリストとして社会人のキャリアを始め、1942-1943年シーズンの総統杯準決勝、レアル・マドリード対FCバルセロナ第2ラウンド(マドリードがバルセロナを11-1の大差で下した)では、ホームであるマドリードのサポーターを批判して、所属していた会社を解雇された。
1950年代後半に、ファシストの青シャツを着ていたサマランチの姿が、写真に残されている。
その後は家業を継ぐ傍ら、数多くのオリンピック大会でスペインチームの代表を務めた。
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フアン・アントニオ・サマランチさんが誕生してから、104年と127日が経過しました。(38113日)
亡くなってから、14年と214日が経ちました。(5328日)
32785日間 生きました。