磯部琇三いそべしゅうぞう
天文学者[日本]
1942年 7月16日 生
2006年 12月31日 死去肝臓がん享年65歳
磯部 琇三(いそべ しゅうぞう、1942年7月16日 - 2006年12月31日)は、日本の天文学者。
専門は、星形成領域の研究[1]。
日本における天文学のアウトリーチ活動やスペースガードの活動に指導的立場で活躍した。
大阪府大阪市生まれ。
生涯=
大阪府立清水谷高等学校卒業[2]。
東京大学理学部卒業及び同大学大学院を修了。
高瀬文志郎に師事した。
国立天文台助教授。
1988年に国立天文台に天文情報普及室(現・天文情報センター)が設立されるとその室長に就任[3]。
同年、国際天文学連合 (IAU) の第46委員会(天文教育)の日本代表委員に就任、2000年から2003年にかけて同委員会の会長を務めた[3]。
IAUの天文教育コロキウムが1988年に開催されるにあたって、1987年8月に「第1回天文教育研究会」を開催、全国の教育関係者の参加を募った[3]。
1989年に同研究会が常設の組織「天文教育普及研究会」として設立されると、その会長(世話人代表)に就任、1993年12月末まで務めた[3]。
スペースガードの活動には、日本国内だけでなく世界的にも指導的立場として携わった[4]。
1996年に任意団体として日本スペースガード協会を設立すると会長に就任、1999年のNPO法人化以降は理事長に就任し、2006年に他界するまでその任にあった[4]。
東京大学在学中は野球部に在籍。
大学野球の審判の資格を持ち、テレビ中継で解説するなど、熱心な野球ファンとして知られた[5]。
有言実行を信条としており、「やると ……
磯部琇三さんが誕生してから、82年と349日が経過しました。(30300日)
亡くなってから、18年と181日が経ちました。(6756日)
23544日間 生きました。