岡崎文次おかざきぶんじ
電子技術者[日本]
1914年 7月7日 生
1998年 7月23日 死去享年85歳
岡崎 文次(おかざき ぶんじ、1914年(大正3年)7月7日 - 1998年(平成10年)7月23日)は、日本の技術者。
富士写真フイルム在籍時の1956年、ほとんど独力で国産初のプログラム記憶方式のコンピュータ「FUJIC」を開発した。
富士写真フイルム退職後、日本電気(NEC)を経て、専修大学経営学部が情報教育開始のため「情報管理学科」を設置する際に、初代教授として招聘された。
年譜=
愛知県名古屋市中区出身
旧制第八高等学校卒業
1939年(昭和14年)3月 - 東京帝国大学理学部物理学科卒業
1939年(昭和14年)4月 - 富士写真フイルム株式会社入社
1956年(昭和31年)3月 - 日本で最初の電子計算機を完成
1959年(昭和34年)3月 - 日本電気株式会社入社
1972年(昭和47年)4月 - 専修大学経営学部教授
1985年(昭和60年)3月 - 専修大学定年退職
1985年(昭和60年)5月 - 情報処理学会創立25周年記念特別功績賞
1998年(平成10年)7月23日 - 多臓器不全のため死去
業績=
著作・論文=
「電子計算機 FUJIC とその計算例」『電気通信学会雑誌』第40巻第6号、1957年6月、128-131頁、
岡崎文次さんが誕生してから、110年と137日が経過しました。(40315日)
亡くなってから、26年と121日が経ちました。(9618日)
30697日間 生きました。