建畠覚造たてはたかくぞう
彫刻家[日本]
1919年 4月22日 生
2006年 2月16日 死去享年88歳
建畠 覚造(たてはた かくぞう、1919年4月22日 - 2006年2月16日)は日本の彫刻家。
第二次世界大戦後の日本で抽象彫刻制作を推し進めた第一人者であった。
略歴=
1919年東京生まれ。
彫刻家・建畠大夢の長男で、1941年に東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科を卒業。
同年、第4回新文展には「黙」を出品して特選を受賞
するなど若い時期から期待された。
将来の留学に備えてアテネフランスでフランス語を習っていたことから、昭和19年(1944年)に、仏領インドシナのサイゴン日本文化会館の派遣職員に任命され、新妻とともに赴任、敗戦後現地で4か月の抑留生活ののち、1946年に帰国した。
彼は彫刻を構成する実体とそれをとりかこむ何もない空間との関係に関心を持ち、アカデミックな具象彫刻から前衛的な抽象彫刻へ移行していった。
イギリスの抽象彫刻家ヘンリー・ムーアの胴に穴の開いた彫刻などの影響を受け、1950年には、彼の所属していた行動美術協会に彫刻部を結成した。
1953年から1955年までフランスに留学、サロン・ド・メなど多くの展覧会に参加。
帰国して金属などを組み合わせた幾何学的な造形を行い、1950年代の日本の抽象彫刻のパイオニアの一人として活躍した。
WAVING FIGURE(1998年、島根県立美術館)
彼は情緒的な制作態度や惰性を排除し、明確で論理的な思考による彫刻を作ろうとした。
彼は、一方では彫刻の構造を純粋・厳密な状態にまで推し進め、無駄をそぎ落とし ……
建畠覚造さんが誕生してから、105年と214日が経過しました。(38565日)
亡くなってから、18年と278日が経ちました。(6853日)
31712日間 生きました。