瀬川美能留せがわみのる
野村證券 元社長・元会長[日本]
1906年 3月31日 生
1991年 9月10日 死去享年86歳
瀬川 美能留(せがわ みのる、1906年3月31日 - 1991年9月10日)は日本の実業家。
野村證券元社長・会長。
来歴・人物=
奈良県出身。
成器商業を経て、1929年に大阪高等商業学校・大阪商科大学高等商業部(現大阪市立大学)を卒業し、野村證券へ入社して、早くから営業担当者として頭角を現した。
戦後は、1946年に取締役、1948年に常務取締役、1952年に専務取締役となり、さらに1956年に副社長、1959年に社長となった。
1959年に社長就任した後、1965年には調査部を独立させて、野村総合研究所を設立した。
右翼の政商児玉誉士夫に莫大な資金を送り込んでいたことでも知られる。
1968年からは会長を務め、1978年に取締役相談役に退いた後も、1986年12月には最高顧問となった。
その他、社外では日本証券業協会連合会会長を務める傍ら、瀬川学術振興基金を設立し、その融資を大阪市に寄付し、大阪市立大学証券研究センターをバックアップさせた。
その他には大和ハウス工業監査役、毎日放送取締役も務めた。
1991年9月10日死去。
享年85。
子は二男二女。
長男の瀬川久雄は元柏そごう社長。
長女は朝日新聞社の元社主である上野淳一の三男の妻。
エピソード=
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