関千枝子せきちえこ
ノンフィクション作家[日本]
1932年 3月28日 生 (満92歳)
関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年2月21日)は、日本のノンフィクション作家。
人物・来歴=
大阪市出身。
旧姓:富永。
1944年、父の転勤で大阪から広島市に移住し、旧制広島県立第二高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校の前身の一つ)に入学。
そして1945年、自身が2年生のときに広島で被爆。
このとき、第二高等女学校では爆心地に程近い雑魚場町(現・中区国泰寺町)での建物疎開作業に動員されており、引率した教師、そして同級生含めた約40人が被爆し亡くなったが、関自身は当日体調不良で欠席、宇品の自宅で病臥していたために被爆こそしたが、爆心地より遠かったため生き延びたという(当日、関含めた生徒でも6人が欠席したほか、建物疎開作業に動員された同級生で1人だけ奇跡的に助かった者がおり、彼女はその後24年生きた)。
戦後は学制改革で自身の通う第二高等女学校が廃止されて広島県立広南高等学校となるが、小規模校であったため学校のさらなる統廃合を受け、1949年、関は男女共学で再編された広島県立広島国泰寺高等学校に編入され、共学化第1期生のひとりとなり、自身は文芸部と新聞部に所属していた。
国泰寺高校卒業後、自らは上京して早稲田大学文学部ロシア文学科に進学、卒業後は毎日新聞社に入社して記者として活動、当時としては数少ない女性記者だった。
毎日新聞在職時に同僚と結婚。
1967年に、夫のアメリカ支局転属により毎日新聞を退 ……
関千枝子さんが誕生してから、92年と238日が経過しました。(33841日)