生年月日データベース

小杉二郎こすぎじろう

工業デザイナー[日本]

1915年 3月25日

1981年 2月17日 死去享年67歳
小杉二郎 - ウィキペディアより引用

小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日 - 1981年(昭和56年)2月17日)は、日本のインダストリアルデザイナー。
東洋工業(現在のマツダ)の乗用車やトラック、新三菱重工業(現在の三菱重工業)のスクーター、蛇の目ミシン工業のミシンなどのデザインを手がけ、日本のインダストリアルデザイナー第一世代を代表する人物として知られる。
没後38年を経た2019年(令和元年)11月、日本自動車殿堂の2019年度の殿堂者に選出された。
父は洋画家の小杉放庵、兄は美術史学者の小杉一雄、甥には洋画家の小杉小二郎(一雄の子)がいる。
来歴= 1915年(大正4年)、東京市滝野川区にて洋画家である父・小杉放庵(国太郎)と母・ハルの二男として生まれる。
1938年(昭和13年)に東京美術学校図案科を卒業。
その後兵役でで車両修理の仕事に携わった後、1944年(昭和19年)に商工省工芸指導所に入所、そこでは木製航空機部品の設計部門で働くこととなった。
しかし、1945年(昭和20年)4月にふたたび応召され、その後間もなく終戦を迎えた。
なお、二度目の入営の直前となる3月に針重敬喜の次女、千鶴子と婚礼を挙げている(入籍は終戦直後の8月18日)。
戦後は、1947年(昭和22年)に山脇巌らと「生産工芸研究所」を設立し、1949年(昭和24年)からはフリーランスとして活動、日本におけるフリーデザイナーのパイオニア的存在として活躍。
1953年(昭和28年)に「ジャノメミシン320型」が毎日 ……

小杉二郎さんが誕生してから、109年と244日が経過しました。(40056日)
亡くなってから、43年と279日が経ちました。(15985日)
24071日間 生きました。

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