高橋玄洋たかはしげんよう
脚本家[日本]
1929年 3月24日 生 (満95歳)
高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )は、日本の脚本家、劇作家。
島根県松江市出身。
来歴=
松江生まれだが先祖伝来は広島県。
松江市立内中原小学校2年のとき、父親が40歳になって大学へ入り直すため一家で広島市に移り、広島市立袋町小学校に転校。
父親は教育者で、のち広島県尾道市助役を務めた。
4年後父が大学を卒業し朝鮮へ赴任したため、平壌、釜山、新義州と少年時代を外地で過ごす。
朝鮮船橋里小学校、平壌第一中学校、釜山中学校(現・釜山高等学校)と転校を繰り返し、新義州中学校4年のとき、海軍兵学校最後の78期生として入学。
1945年8月6日原爆投下の日には、広島市郊外で勤労奉仕中で、当日市内に救援に入った。
終戦後は尾道市の叔母の家で育ち、忠海中学校(現・広島県立忠海高等学校)に在学。
学制改革の関係で平山郁夫は同級生となる。
文学青年だった従兄の影響で文学を志す。
尾道では洋画家の小林和作に可愛がられた。
父は当時、尾道市役所に勤務し、1953年8月に尾道ロケが行われた『東京物語』では、ロケ対応の責任者だった。
父は息子が東京の大学で脚本の勉強をしていると小津安二郎監督に話したところ、「今すぐやめさせたほうがいい」とアドバイスされたという。
尾道短期大学を経て、1954年早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。
早稲田大学卒業の年に、新日本放送(現・毎日放送)のラジオドラマ懸賞募集に「母の履歴書」 ……
高橋玄洋さんが誕生してから、95年と242日が経過しました。(34941日)