ユーゴ・コブレHugo Koblet
自転車レーサー[スイス]
1925年 3月21日 生
1964年 11月6日 死去享年40歳
ユーゴ・コブレ(Hugo Koblet、1925年3月21日 - 1964年11月6日)は、スイス・チューリッヒ出身の名自転車競技選手。
経歴=
1946年にプロ転向。
1947年、世界自転車選手権・プロ個人追い抜きで3位に入る。
1948年、シカゴ6日間レースで優勝。
1949年、ニューヨーク6日間レースを制覇した。
さらに、個人追い抜きの国内選手権では、1947年から1953年まで7連覇を果たすことになる。
ここまでのコブレは、どちらかというとトラックレースでの活躍が目立ち、ロードレースではステージレースにおける区間優勝がある程度の成績にすぎなかった。
ところが1950年以降、ロードレースにおいて名選手の地位を築いていくことになる。
1950年のジロ・デ・イタリア(ジロ)。
第8ステージでマリア・ローザを掴んだコブレは、その後一度も明け渡すことなく、最終的にジーノ・バルタリに5分12秒の差をつけ、イタリア国籍以外の選手として、初のジロ・デ・イタリア総合優勝者となった。
また、同年のツール・ド・スイスでも初の総合優勝を果たした。
1951年、ジロ総合6位、ツール・ド・ロマンディ、ツール・ド・スイスではいずれも総合2位の成績を経て挑んだツール・ド・フランスにおいて、バルタリ、ファウスト・コッピ、フィオレンツォ・マーニの3人を中心とし、優勝候補の最右翼と目されたイタリアナショナルチーム勢を圧倒。
第14ステージ終了後にマイヨ・ジョーヌを掴むと、最終ステージまで守りきり、この ……
ユーゴ・コブレさんが誕生してから、99年と245日が経過しました。(36405日)
亡くなってから、60年と15日が経ちました。(21930日)
14475日間 生きました。