フランシス・ロードン・チェスニーFrancis Rawdon Chesney
探検家[イギリス]
1789年 3月16日 生
フランシス・ロードン・チェスニー (英: Francis Rawdon Chesney, 1789年3月16日 - 1872年1月30日)は、イギリスの将軍、探検家。
生涯=
チェスニーは、スコットランド人の血統を引くアイルランド人であった父アレクサンダー・チェスニー (Captain Alexander Chesney) の息子として生まれた。
父は、1772年にサウスカロライナ植民地へ移民し、ロードン卿(Lord Rawdon:後にヘイスティングス侯爵 (Marquess of Hastings))の下でアメリカ独立戦争に従軍し、次いでアイルランド北部ダウン県のアナロング (Annalong) で沿岸警備に任じられた。
F・R・チェスニーは、そこで1789年3月16日に生まれた。
ロードン卿の計らいで、チェスニー少年は、ウリッチ (Woolwich) の王立陸軍士官学校で学ぶこととなり、1805年には、王立砲兵連隊 (Royal Artillery) に配属された。
チェスニーは軍功により中将まで昇進し、1864年には王立第14砲兵連隊 (14th Regiment Royal Artillery) の指揮官となり、1868年には陸軍大将となったが、世間の人々がチェスニーを知ったのは、その軍歴によってではなく、彼のスエズ運河との関わりや、1829年に軍務としてコンスタンティノープル(イスタンブール)に派遣されたことから始まったユーフラテス川流域の探険、エジプトやシリアの巡察行などによってであった。
1830年、マルタに駐留する王立砲兵連隊第4大隊第7中隊(後に王立第20砲兵連隊 (20 Battery Royal Artillery) の母体となった)の指揮を執っていたチェスニーは、スエズ運河建設の可 ……