藤間勘十郎ふじまかんじゅうろう
日本舞踊家・8代目[日本]
1980年 3月13日 生 (満45歳)
藤間 勘十郎(ふじま かんじゅうろう)は藤間流の名跡。
2代目藤間勘兵衛の娘婿だった3代目藤間勘兵衛が家庭の不和から藤間を離れて名乗った名。
晩年に勘兵衛へ復名した。
3代目藤間勘兵衛の養子の藤間大助が養家に遠慮して分家し、勘十郎派を立てた。
以下は、勘十郎派の名跡として藤間大助を初代として述べる。
(3代目藤間勘兵衛が一時名乗った「勘十郎」は代数に数えない。
)当代8代目宗家藤間流家元。
初代=
初代勘十郎(寛政8年(1796年) - 天保11年12月24日(1841年1月16日))
大坂の舞踊瀬山(または世家真)家一族、3代目藤間勘兵衛の養子で門下。
瀬山大助、初代藤間大助を名乗る。
1818年から4年程大阪で修行、その頃に養父が亡くなり1823年に帰京し岩井大助を名乗っていたが藤間大助に戻る。
1831年に養父の勘兵衛を継がずに茅場町に別家を構え勘十郎を襲名した。
4代目中村歌右衛門、2代目関三十郎の変化舞踊の振付けをする。
著名な振り付けに「正札付」「保名」「藤娘」など。
渾名(あだな)を「踊りっ子」。
2代目=
2代目勘十郎(文政6年(1823年) - 明治15年(1882年)7月14日)藤間流3代目宗家。
初代勘兵衛の養女。
本名は藤間よし。
通称「大よし」。
2代目から5代目までは女性で劇場振付けを行なわなかった。
3代目=
3代目勘十郎(生年不詳 - 明治10年(1877年))
「櫓下の勘十郎」、「亀三勘十郎」等と言われる。
なお、別家元(慶応2年(1866年 ……
藤間勘十郎さんが誕生してから、45年と36日が経過しました。(16472日)