生年月日データベース

山野千枝子やまのちえこ

美容家[日本]

1895年 3月11日

1970年 2月11日 死去享年76歳
山野千枝子 - ウィキペディアより引用

山野 千枝子(やまの ちえこ、旧姓:三沢 、1895年 (明治28年) 3月11日 - 1970年 (昭和45年) 2月11日)は、日本の美容家。
神奈川県横浜市出身。
各地に美容院を開き、日本にパーマネント(後にコールドパーマ)技術を広めた草分けだった。
美容器具の国産化に努め、赤外線による美顔術、脱毛法、美容体操・整体術なども発表した。
また、ファッションモデルの前身である「マネキンクラブ」も創設し、ファッションショーによって洋装を広めたといわれる。
来歴= 一旦事務員に就いた後、神戸高等家政女学院に入学、1913年(大正2年)に卒業。
同年、山野末松と結婚し渡米。
美術雑貨商などをしながら、ワナメーカー・ビューティースクールで美容技術を取得する。
1922年(大正11年)10月、米国より帰国。
翌1923年(大正12年)3月、東京駅前にできて間もない丸ノ内ビルヂング4階に、婦女界社主・都河竜の援助により、「丸ノ内美容院」を開店。
寝ながら洗髪できるシャンプトレーの採用など、アメリカ式を取り入れ、連日新聞報道されて話題となった。
文金高島田の4倍という高額料金だったが、女優や上流階級の女性客が列をなし、見物客も押し寄せた。
1929年(昭和4年)、大日本美容協会を創設。
1946年(昭和21年)、全日本美容連盟を創設。
1954年(昭和29年)、東京美容国民健康保険組合を創設(理事長に就任)。
1950年(昭和25年)からは、東京高等美容学院の院長も務めた。
197 ……

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亡くなってから、54年と283日が経ちました。(20007日)
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