緑川洋一みどりかわよういち
写真家[日本]
1915年 3月4日 生
2001年 11月14日 死去胃がん享年87歳
緑川洋一(みどりかわ よういち、1915年(大正4年)3月4日 - 2001年(平成13年)11月14日)は、写真家、歯科医師。
生来の名は横山知(さとし)。
二科会写真部会員。
経歴=
岡山県邑久郡裳掛村虫明(現・瀬戸内市邑久町虫明)の呉服商の長男として生まれる。
1932年(昭和7年)に上京し、日本大学専門部歯科に入学。
1934年(昭和9年)、模型飛行機店の店主と合作でコンテストに応募したボート用スチームエンジンを、海軍省が50円で買い取る。
これを元手にドイツ製カメラ・ペルケオを購入し写真撮影を始める。
1936年(昭和11年)、日大専門部歯科を卒業。
歯科医師国家試験に合格し、東京市蒲田区(現・大田区蒲田)の総合病院に勤務する。
翌1937年(昭和12年)、郷里の岡山市に横山歯科医院を開業する。
1939年(昭和14年)より写真撮影を再開。
緑川洋一の名で写真雑誌への投稿を始める。
同じ岡山出身の写真家・写真雑誌編集者の石津良介(石津謙介の兄)の推薦により中国写真家集団に参加。
同年、山崎治雄らとカメラクラブ「光芒会」結成。
1945年(昭和20年)、岡山連隊区司令部が報道班を結成し、班員となる。
岡山市を中心に戦災状況を撮影。
しかし、終戦とともに連隊区司令部の命令で撮影したネガを全て焼却する。
1946年(昭和21年)石津良介と写真工房を開設。
1947年(昭和22年)石津の紹介で米子の写真家・植田正治と共に東京で秋山庄太郎、林忠彦、石津らが中 ……
緑川洋一さんが誕生してから、109年と276日が経過しました。(40088日)
亡くなってから、23年と20日が経ちました。(8421日)
31667日間 生きました。